読んだ小説の感想など(1999年以前)

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鋼鉄都市 (アイザック・アシモフ)

買った日: 1999年12月22日
読んだ日: 1999年12月31日- 2000年1月6日

ひさしぶりのアシモフです。アシモフと言えば、この本の後書きにも あるように科学技術を分かりやすく広めるための書籍を多く執筆して います。
この事で思い出すのが高校時代の友人で、彼は当時 『今の日本のマスメディアに必要なのは科学を正しく伝え広める能力だ』と 言っていました。個人的に思うのが、日本の科学者でSFを書く人(いや、 SF作家で学位を持っている人と書いたほうが良いのかな)はどのくらい いるのかということです。
アメリカと比べると学位持ちのSF作家の比率が低いのではないかと思うわけです。 (もちろん日本にも現役の研究者、技術者でSFを書いている人がいることは 知っています。) 絶対的にそれが良い悪いではないのですが、もうすこし科学者, 技術者は 科学技術の面白さを若者に伝える仕事に時間をさかなければ行けないのかなぁ、 などと考えてみたりします。

肝心の内容ですが、ロボットとロボット三原則を重要なエッセンスとしながらも 宇宙に拡大した人類の子孫達、飽和する地球上の都市といったように銀河帝国 もののテイストも持ちつつ、ストーリーは刑事物のミステリーというアシモフ 盛り沢山のものになっています。


創世紀機械 (J・P・ホーガン)

買った日: 1999年12月24日
読んだ日: 1999年12月25日-12月30日

原題は"THE GENESIS MACHINE"ですが、『創世機械』の方が語呂が良かった のではないかと思います。読み終ったけどやっぱり『創世機械』の方が 良いな。
前半の物理学の理詰めのわりに、最後のところではコンピュータのプログラム を信用しすぎているかなと思いかけましたが、エピローグで話しがうまく まとめていました。それにコンピュータが人間に反逆するかいなかという話しに ついては『未来の二つの顔』で語られているし。


時の門 (ロバート・A・ハインライン)

買った日: 1999年12月6日
読んだ日: 1999年12月10日 - 15日

ひさしぶりにハインラインを読みました。短篇集で、確かにハインライン的な 話しなんですが、なんか違う。なんか暗い。前向きに未来を切り開こうとする 姿勢が見えず、どうもペシミスティックな終り方をしている話が多いように 思う。この点は解説でも述べられていることだけど。
「宇宙の戦士」はハインラインを代表する作品で、ベトナム戦争直後に書かれ たものである。この作品は、ベトナム戦争後の無条件に闘いを否定する風潮に 喝をいれる立場をとったものであるため、自分の手で、力で生命を勝ち取る 力強さが見られる。

それから比べると、本作に書かれている内容からは明るい未来は読みとれない。 考えてみれば当然かもしれない。時期的には戦後からベトナム戦争までの間に 書かれたものらしいが、現実的にのしかかる敵国の存在という圧迫が現われて いるのだろう。

冷戦が解けた今の世にハインラインが健在だったら、どんな話をかくだろうか。

ちなみに、英語版のペーパーバックではMENACE FROM THE EARTH が表題に なっているみたいです。先日新宿南口の紀伊国屋で発見しました。


老いたる霊長類への讃歌 (J・ティプトリー・Jr.)

買った日: 1999年12月6日
読んだ日: 1999年12月18日 - 24日

これまたティプトリーが男性で通していたころと、別の名前を使っていた ころの作品。何というか、どうしてこういう話がかけるのだろうか。 達観した静けさと、燃えたぎる挑戦との両方を感じる。
こと、人間には男性と女性という2種類が存在していて、それらは違う 生き物なのだと認識させられる点が顕著である。ハインラインが書くよう に、セクシーで奔放な、ある意味男にとって都合の良い女性像は ティプトリーの作品には現われない。これをもって世間は(男性であった) ティプトリーをフェミニストと称したのだろう。


ファウンデーションの誕生 (アイザック・アシモフ)

買った日: 1999年5月
読んだ日: 未読


ヴァリス (フィリップ・K・ディック)

読んだ日: 1999年11月-12月10日

気違いは気違いを求める。ディックを読もうとすること自体が、狂気の 始まりなのかもしれない。

主人公ホースラヴァー = ファットは友人の自殺を防げなかったこと、 友人を救えなかった事をきっかけに狂気への坂を転がり落ちて行く。
他人を救おうと思う事が狂気の始まりだという。
確かにそうかもしれない。
では他人に救いを求めるのは?
救いを与えんとするのも、救いを求めるのも、どちらもエゴには違いない。
ならば共に狂気の始まりか?

然り。

例) 友情の美しさを高らかに歌い上げる「走れメロス」。あんな偽善小説を 胸張って世に出せる太宰治は、実際狂人の代表各だ。

話しは変わるけど、この本を読んで思い出した。

そう。

過去において、私の頭の中にはもう一人の人格が存在した。人格というのは不 適切かもしれないが、論理的主張をする何かが存在していた。
物事について思索する時、私が思い浮かぶアイデアに対して、彼は冷静な視点 からその問題点を指摘した。後ろ向きな思考に陥った時はその無意味さを指摘 し叱咤した。あまりにも突拍子ない考えについては、たしなめた。
彼は確かに存在し、表の私のアンチテーゼとして働き、表の私を補完していて くれていた。…ように思う。

彼がいなくなったのはいつだろう。

高校生の時は彼は存在していた。大学に入ってからも3年生くらいまでは彼は いたように思う。大学院に入ってからは……?もしかすると、諸事がうまくい かなくなって来たのと彼が消えたのとは時期を同じくするのかもしれない。

いずれにせよ、彼はもういない。といっても、このことを長い間忘れていたく らいだから、別にいなくてもどうということはない。
しかし彼の存在によって今の苦しみが緩解されるのなら……

もう一度、彼にであうことは出来るだろうか。


未来の二つの顔 (J・P・ホーガン)

読んだ日: 1999年11月

随分長い時間かけて読みました。1ヵ月くらいかな。その間にアメリカ出張と 北海道出張があった。

「知能を持ったコンピュータは人間を排除しようとするか否か」というSFでは 常套的テーマだけど、さすがホーガンだけあって一味違います。冒頭に書かれ ている謝辞がMITのミンスキー教授宛てというのが、まずドキドキします。

読み終っての感想ですが、やはりこの作品にも他のホーガンの作品と同じ ものを感じました。信念と論理に裏付けされた人類の明るい未来を信じる 心です。


星々の荒野から (J・ティプトリー・Jr.)

読んだ日:1999年10月

この作品はティプトリーがまだ男性として活躍していた時の作品です。 しかし、ティプトリーが女性であると知って読むと、これは明らかに 男性では書けない小説だと思ってしまいます。


マイノリティ・レポート (フィリップ・K・ディック)

買った日:1999年8月17日
読んだ日:1999年10月9日-10日

連休で久しぶりに休みがとれたので集中して読めました。ディックの作品の中 のSFっぽいSFを集めた短篇集です。


アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス)

買った日:1999年8月15日
前から買おうと思っていたので買ってみました。
文庫を探したのですが見つからなかったのでハードカバーを買った のですが、9月に立て続けにダニエル・キイスの作品が文庫化されて、 ちょっと悔しいです。

ちなみに過去に映画化されていて、邦題は「まごころを君に」。evangelion 劇場版 第26話のサブタイトルの元ネタですね(なんか、こんなんばっか)。

映画のほうは以前見たことあるのですが、あんまり印象が残ってないです。 なぜだろう。小説での心理描写があまり画面で感じられなかったからだろうか。

ところで、先日同期の連中と飲んだら、全員がアルジャーノンを読んでいた。 別に不思議はない話だけど。


StarWars Episode I -- Phantom Menace --

読んだ日: 未読

小説を買ってはあるのですが、映画をまだ見てないので読み始められません。

で、見て来ましたが、徹夜明けの映画館はしごだったので、ほとんど 意識を失っていた。だめだこりゃ。もう一度見直さなきゃ。


巨人たちの星 (J・P・ホーガン)

読んだ日:1999年9月

ガニメデの優しい巨人の続編です。

1作目はわずかな手がかりを元にあらゆる分野の科学を駆使して物語を展開し、 2作目は地球人と異星の生物との異なる進化過程を中心にし、そして第3作では 政治的駆け引きと社会科学を使ってストーリーを構築しています。最大の科学 研究の対象は人間そのものだということでしょうか。私には人類に対するホー ガンの愛情が見えるように感じられます。

ガニメデの優しい巨人 (J・P・ホーガン)

読んだ日:1999年7月

「星を継ぐもの」の続編。

読んでる途中です。前作よりもフィクション度が上がっています。

…忙しくて全然進みません。もう8月半ばを過ぎたというのに。
9月4日にやっと読み終えることができました。
人類とは全く異なった性質を持つ異星人(といっていいのかな)である ガニメアンの生き残りが登場します。 地求人の凶暴性と、それを理解できない平和的な宇宙人という構図は ありがちといえばありがちですが、綿密な理論による裏付けによって ホーガン独自の世界が広がります。だからこそ、最後の締めくくりの 「人類の未来は明るい」というくだりにも納得がいってしまうのです。


流れよわが涙、と警官は言った (フィリップ・K・ディック)

読んだ日:1999年7月

オスロからフランクフルト経由 成田行きの飛行機の中で読みました。

最初の出だしがなんとなく安部公房の「S・カルマ氏の犯罪」(短篇集 『壁』に 収録)を思わせる…と思ったけどやっぱ全然違った。 最後はなんとなくEvangelionのTV版の最終話「世界の中心でアイを叫んだケモノ」。
というと分かる人には分かるか。

Evaの最終話もまた、現実とは主観と人間関係からなる複数の並行世界のうちの 一つに過ぎないことを主題にしている。Evaでは 「その中からどの現実を選択するかが、自分の生きる道を選ぶことになるんだ。 胸をはって生きる道を選ぼう」という、自己啓発セミナー的前向き感で 終らせている。劇場版のシンジはふぬけに毛が生えた程度になっているけど。
これに対してディックは、世界を選んだのは自分ではなく、見知らぬ他人だ。 他人が選んだ現実が自分にまで影響を及ぼして、しかもその当の元凶は死んで しまう。元の現実に戻ったから良いものの、後にはやりきれなさだけが残る。

ディックの作品では、「やりきれなさ」が最後に残る。 それは彼自身のやりきれなさの現われなのだろう。 しかし、自分の力の及ばない現実に振り回される現実。 その方がむしろ現実的な現実だ。 現実とはやりきれなさの積み重ねでしかない。 それを忘却して日々を過ごすのも生き方なら、心を痛めるのも生き方の一つだ。
楽なのは後者だけどね。

それにしても、その並行現実を個人が服用した薬物作用で片付けようってんだから、 さすがP.K.ディック。


星を継ぐもの (J・P・ホーガン)

読んだ日:1999年6月

シカゴから成田に向かう飛行機の中で読みました。

ひさしぶりにSFっぽいSFを読みました。こういうタイプの小説を中高生のころ に読んで、科学者にあこがれたっけ。科学小説にほんの少しのフィクションの エッセンスを加えて、みごとなSFに仕上げている。非常に良くできている話し だと思います。おすすめですね。


それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ (庄司 卓)

読んだ日:1999年6月から7月にかけて

1巻と2巻は成田からサンフランシスコに向かう飛行機の中で読みました。
その後、とりあえず6巻までは読みました。

悪くはないと思うんだけど、どうして富士見ファンタジア文庫や角川スニーカー 文庫を筆頭に、お軽い小説が日本には蔓延しているんでしょうね。値段とペー ジ数の割に文章の密度が薄くて、損した気分なんだよな。
それに、この話って1980年代以降のゲームとアニメーションに相当詳しくない とネタが全部は理解できないっていうのも、何だかなという感じです。

ところで僕は、戦争が完全にゲームになってしまった世界で、そのゲームの 駒につかわれる疑似人格をもったプログラム達のストーリーというのを、 高校時代に書いたことがあります。僕の話しは"Sacrificers"というタイトルで 「死んでも回収させられてまた兵士として再生させられる」という感じで 暗く終らせましたが、同じ出発点からこうも楽しい話に 持って行くやりかたもあるのか、ってのは関心しました。
まあ「同じ出発点」といっても、ありがちだけどね。コードウェイナースミスの 第81Q戦争も似たようなものだし。

余談だけど、TV版は綾乃ちゃんの脱ぎが足りないと思う。


アンドロイドは電気羊の夢を見るか(フィリップ・K・ディック)

読んだ日:1999年6月

シカゴから成田に向かう飛行機の中で読みました。

言うまでもなくブレードランナーの原作ですが、かなり違う。

最初に登場するのは電気羊だ。生きている羊ではない。主人公達人間は生きて いる羊を飼うことを切望する。しかし生きている羊は貴重で高価だ。電気羊は 偽物だ。動物を飼う欲求の受け皿と、ステータスシンボルの代わりとしての役 割を持つが、所詮代替品でしかない。電気羊自身に代替品としての自覚が あるかどうかは分からんが。

アンドロイド(ブレードランナー的にはレプリカント)は何だろう。 人間ではない、人間とは違う。
反射が違う。だからテストで人間ではないと判別できる。 認知も違う。動物に対して抱くのは愛情ではなく、ただの「動く物」としての 認知でしかない。
しかし人の認知なんてものは、育った環境、社会背景でいくらでも 変わる。特定の言葉、特定の環境下でどのような反応をとるかも 変わる。クモを愛でるか殺すか、それさえも変わる。

日本人にとって、犬は友達だ。
中国人にとって、犬は食い物だ。犬をみたらよだれを流す。
日本人にとって、ウサギは友達だ。
イギリス人にとって、ウサギは食い物だ。
では、日本人は人間ではないのか。中国人は人間ではないのか。 イギリス人は人間ではないのか。
否、である。
主人公デッカードは、アンドロイドに愛情を抱いた。同情に近いのかもしれな いし、電気羊に対する気持ちと同じかもしれない。バウンティハンターである はずの彼は、すべてのアンドロイドを殺すことに苦痛を感じます。でも殺さな ければならない。自分が人間であることを納得するために。そして彼は賞金首 のアンドロイドを殺す。

やりきれない気分のまま自宅に帰ると、大枚はたいて購入した彼のペットは、 彼が愛したアンドロイドによって殺されている。怒りではなく、悲しみでも なく、やりきれない気持ちの彼ができることは、でも布団にもぐり込むこと しかない。


ニューロマンサー(ウィリアム・ギブソン)

読んだ日:1999年6月

関係ないけど、カウボーイビバップって、ニューロマンサーの世界で繰り広げ られるルパン三世だと僕は思うんだけど、どうでしょう?

実は途中で投げ出してしまっています。
嫌いではないんだけど、ある程度時間をとってまとめて読まないと、 頭が破裂してくる。


ショイヨルという名の惑星 (コードウェイナー・スミス)


第81Q戦争 (コードウェイナー・スミス)


鼠と竜のゲーム (コードウェイナー・スミス)


たった一つの冴えたやりかた (J・ティプトリー・ジュニア)

読んだ日:1999年3月頃

たしか成田からシカゴに向かう飛行機の中で読んだんだと思う。

短篇集なんですが、やっぱり表題作が一番かな。
自分の故郷を救うために自らの命をたつという話はありがちなのですが、 この話の凄いところは、14歳の女の子が(そしてまた川原由美子のイラスト がぴったりなんだ)、冷静かつ論理的に考えて考えた上でその結論を導きだし、 「これがたった一つの冴えたやりかた」と言いながら恒星に突入すること。
原題は"The only neat thing to do"なんですが、「そうか、こういうのを 彼らはneatと言うのか」と感心しました。
小説として評価すべきは、場面転換のうまさ。前半は主人公の視点で話がすすむ ことによって主人公へ感情移入できます。 後半は主人公からの連絡カプセルを再生し、主人公の父親などがそれに聞き入る 場面を中心に話が進む。 このカプセルが届いたのは彼女が恒星に 突入してから後のことなので、そのカプセルの内容を見ている人達は いまさら彼女を救う手立てはないわけです。これは読者も同じ状態なわけで、 そのもどかしさ、悔しさを必然的に共有することになる。

この作品を書いたJ・ティプトリー・ジュニア(実は女性)は、 夫婦ともに病気の身体になった末、共に自殺を決行します。
でもそれは病身の苦しみから逃れるための発作的な自殺ではなく、冷静な判断 のもと、彼女は「これがたった一つの冴えたやりかた」と言いながら、自身に 向かって銃を放ったのではないでしょうか。それが彼女の行き様だったのでは ないかと思うのは読者の勝手な美化でしょうか。

いずれにせよ、ご冥福を祈ります。


自由未来 (ロバート・A・ハインライン)


栄光の道 (ロバート・A・ハインライン)


メトセラの子ら (ロバート・A・ハインライン)


愛に時間を (ロバート・A・ハインライン)


デリラと宇宙野郎たち (ロバート・A・ハインライン)


地球の緑の丘 (ロバート・A・ハインライン)


動乱2100 (ロバート・A・ハインライン)


未知の地平線 (ロバート・A・ハインライン)


月は無慈悲な氷の女王 (ロバート・A・ハインライン)


夏の扉 (ロバート・A・ハインライン)

読んだ日: 1996年だったと思う。

「さわやか」という言葉が似合う。特に後半は一気に読んじゃいました。


宇宙の戦士 (ロバート・A・ハインライン)

Starship Troopers

1998年に映画化されました。1980年代なかばには日本でアニメ化されています。 1999年秋だかに再度アニメ化されるんでしたっけ?

機動歩兵はモビルスーツの基になったと言われていますが、むしろ話し全体を 通して訴えるもののほうがガンダムへ影響を与えていると思います。 機動歩兵自体は、直接的にはボトムズのA.T.(アーマートルーパー。アトロポスでは ない)とかに近い。


人形つかい (ロバート・A・ハインライン)


悪徳なんかこわくない (ロバート・A・ハインライン)


ガニメデの少年(ロバート・A・ハインライン)


天の向こう側 (アーサー・C・クラーク)


地球帝国 (アーサー・C・クラーク)


幼年期の終り (アーサー・C・クラーク)

読んだ日: 1997年だったと思う。

Evangelionの劇場版って、かなりこの作品に似ていると思うのは僕だけでは ないみたいです。


2001年宇宙の旅 (アーサー・C・クラーク)

読んだ日: 高校時代


ファウンデーション シリーズ (1-3) (アイザック・アシモフ)


12モンキーズ

読んだ日: 1998年12月

劇場版はビデオで見ました。


世界の中心で愛を叫んだけもの(ハーラン・エリスン)

evangelionのTV版 最終話のサブタイトルの元ネタですね。 短篇集です。表題作だけ読んだところで理解に苦しみ、表題作だけを何度も 読み返して、なんとなく気持ちはわかったところで、あとは読んでないです。

コンタクト (カール・セーガン)

映画も見ましたが、小説のほうが面白いと思います。映画のほうは筋が通って いないというか、最後の最後で台無し。ビデオテープの時間の進みの問題が 証拠として正しく提出されないようではアンフェアだ。たしかに視聴者と して相手にしている層と、小説の読者層とは違うのは分かるけど。

ペリーローダン シリーズ

40巻までは読みました。SFだと思わなければ、楽しく読めると思う。人名が人 をなめているとか、日本人をさらってくるあたりの発想が思いっきりドイツ人 だとか、「宇宙船は球が一番効率が良いの。だから球」という発想がやはりド イツ人だとか、いろいろ言いたいことはありますが。
Masahiko KIMOTO, Ph. D. <kimoto@ohnolab.org>
Last modified: Wed Mar 22 16:55:19 JST 2006